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2007年 11月 24日

関脇 福島県安達郡安達町七石山公園・七石山巨石

4号線から62号線、鬼婆で有名な安達が原ふるさと村に曲がる。ふるさと村から約4km行って、標識「福島・広域農道」に従い左折、800m行くと智恵子大橋が掛かっており、さらに700m直進すると十字路標識「七石山・右折」があるので従い、600m行けば右手に見える。
                       山頂に鎮座する巨石
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駐車場はないので、道路と田の畦に置かせて頂く。巨石の下、左右に登り口がある。
寛政年間の佐藤大膳が居住した愛宕城址であるそうだ。見るものを圧倒する花崗岩の巨石は素晴らしい。
巨石の裏側にある堂守が、すっぽり隠れる程巨大である。
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横から見るとメンヒルのように見える。三つの穴、下に風神、雷神、地神と彫られているのはご愛嬌か!
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巨石を覆い隠すがごとき山頂の堂守には、「将軍地蔵尊」が祀られている。
堂が手前に立ち塞がるようにあっても巨石はその輪郭を見せるほど大きい。
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また、周囲にある巨石や自然石には西国三十三観音像や、数え切れない程の庚申塔には個人の名が彫られている。庚申塔は村落や町内単位で信仰され、その講などが盛んで、夜を明かし、語らうものが多い中、ここは意外にも個人単位なのであろうか!
夫々がよっぽど神様に告口して貰いたくない事があったのだろうか!いや失礼、祈願の篤さが伝わってくる!と言い直させて頂く。ツツジの名所で知られる所である。
尚、蛇足であるが、ここ七石山周辺の小中学生のマナーの良さには、岩手伊手小中学生同様、感動のしっ放しである。
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by yo-hamada | 2007-11-24 10:24
2007年 11月 24日

小結 福島県伊達郡川俣町葛尾五十人山・五十人石

6号線双葉から288号線で郡山方面に向かう。
途中、都路から399号線に右折し、葛尾村(写真から)を左折し五十人山に着く。
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                    五十人山巨石
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                     五十人山の頂上広場
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883mの五十人山の由来は、またあの坂上田村麻呂である。
彼が蝦夷平定の折、山頂に侍従50人を座らせ戦略を練ったと伝えられている。
(ほんとかいな?高さ800m以上、麓から徒歩2、6kmもあるこの山の上で、岩場に50人集めて戦略ですかね!こんな所で戦ったとも言われてないようですが・・・・。)
その後、大同年間の頃に弘法大師も奥州巡教の際、五十人石に延命地蔵を刻み、多くの桜児の冥福を祈り、里人に仏の道を説き、薬草せんぶりを病人に与えたと伝えられている。
どうしてこういう伝説が残るのだろうか?不思議である。
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by yo-hamada | 2007-11-24 10:15
2007年 11月 24日

十両 福島県伊達郡川俣町山木屋下田代・掘れない石

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福島県双葉郡浪江町の399号線から459号線に入り、川俣町の山木屋下田代の道路沿いの右手畑にこの「掘れない石」がある。
上には松が2本生えている。登ろうとするが4m程の高さがあり無駄であった。
周囲は25m程もある。長い年月で育った二本の松ではあるが、石の上でどこから栄養を取り、また何故、強風雪などに耐えられるのであろうか!少しの土があるだけなのである。
木は石のパワーを受けたり、飛ばされない様支えてもらったりで、共存しているとしか考えられない。
ほんとはこの巨石は殆ど土に埋まっていたのだそうだ。
399号線の道路整備でここの土を取ったが、巨石の下は掘っても掘ってもこの石が深く埋まっていて掘れなかったという。
裏側に小さな供養碑の様な石が置いてあったが・・・・。
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by yo-hamada | 2007-11-24 10:08
2007年 11月 24日

前頭 宮城県伊具郡丸森町大張二又・夫婦石

                   夫婦石
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                    男石
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                    女石
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349号線丸森駅前の丸森橋(次項の姥石巨石及び未だ掲載していないが「坪石」もあり)手前右から3.5km阿武隈川土手沿いに行くと、第一番目のトンネルが見える。そのトンネルを潜らず手前を左折する。降りて行くが旧道である。400m行くと夫婦石がある。向かって右が女石、左の大きい石が男石である。注連縄が張られシデが飾られている。土手にあるが、二見が浦の夫婦石に似ている。
なぜか巨石を見ると登りたくなるから不思議である。罰当たりである!
土地の信仰は厚い。後ろの三角山は仰ぎ奉った山であろうか!

尚、ご参考まで、これについては、別に「丸森の巨石伝説」を検索してみてください。詳しく載っております。
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by yo-hamada | 2007-11-24 08:54
2007年 11月 24日

前頭 宮城県村田町東山・牛石

東北自動車道の村田ICから25号線で菅生・岩沼方面に向かう。「民話のみち」の看板が出てきたら左側に牛石の標柱が出てくる。巨大牛石である。
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大よそ、長さ22m、幅5~6m、高さ8~9m程の巨岩である。巨石番付でも大きさでは1~2位であろう。牛というより姿は横からは超巨大な鼠の様であり、正面からは恐竜を思わせる。「京の高貴なお方がお供と一緒に昼喰を摂り、連れて来た牛達も飯を食べ横になったりしてたが、皆が出発したのに眠り続け石になったと」いう素朴な伝説がある。
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散歩をしている地元の人が色々説明してくれる。
すぐ近くの神社には、「婆の手石」として、刻印された石が祀られてもいる。ついでに御覧あれ!
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by yo-hamada | 2007-11-24 08:45
2007年 11月 24日

十両 宮城県伊具郡丸森町丸森橋・台石&坪石

349号線阿武隈川沿いの丸森橋たもとにある大石は横が約8m、幅4m、高さ2m、裏に回ると、台座含高さ6m程あるがこれを姥石と思っていたら、リンクの「丸森の巨石伝説」で台石と指摘された。
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姥石は丸森橋のたもとにある川にあるとの事でした。
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元々姥石は大小2個あり、大は10数メートルの高さがあったが、橋桁の基礎に使う為、破壊されたという。詳しくは「丸森の巨石伝説」を参照された。
坪石
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姥石の道路を挟んだ向かい側の民家脇にある。坪石は全部で15個あるが、集中しているのは、寄せ集めたのではないかと推定されるのですが!昔から寄り添うように固まっていた事から、ここの「坪石」の地名にもなっている!と標柱には書いてある。

尚、ご参考まで、これについては、別に「丸森の巨石伝説」を検索してみてください。詳しく載っております。
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by yo-hamada | 2007-11-24 08:45
2007年 11月 24日

番付外 宮城県大和町宮床七つ森、笹倉山・姥坂の石 

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七つ森の一番高い山で笹倉山、通称大森山という。正式にはささくら森という。
大森山へは457号線の大和町宮床にあり、ダミーパトカーが置いてあるT字路を入る。
1本道である。駐車場も綺麗に整備されている。
                       霞んで見える大森山
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姥坂とは大森山一番の50m程の急坂であるが、登り切った所にこの巨石がある。
山麓には、文久元年に安達正義が大森の霊泉で刀を作ったという「大荒神碑」が建ててある。山頂には、宝暦12年に伊達家の家臣、八巻景任父子が背負って登った石仏二体が大森薬師堂の左右に安置されている。薬師堂裏側には伊達政宗の御覧場があり、時を隔てて同じ場所に立ってみるのも、良し!である。
御覧場には標柱が立てられている。標高507m、頂上まで1、2km、50分程で行ける。
七つ森には全て薬師如来様が祭られている。
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by yo-hamada | 2007-11-24 08:27
2007年 11月 10日

十両 宮城県河南町深谷山箱泉寺・千貫石&満貫石

満貫石の長さはご覧の通り巨大であり、幅も2m程もある。
                        満貫石(と言っても約20トン)
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三陸道「石巻河南」で降り、大崎涌谷方面に12km程行くと前谷地の石巻河南総合支所が右手奥まった所に見えるが、その先に出光GSがあるのでそこを左折し道なり(中央白線道路)に1.3km行くと右に深谷山箱泉寺に着く。
「はこいずみ寺」ではなく、「そうせんじ」と言う。地元の方に伺うと「はこしみず」と言われる。
慈覚大師が開祖である。老杉、大銀杏などは樹齢800年もある霊木で天然記念物に指定されている。大師が本尊に霊水を供えようとして独鈷で掘ったら清水が湧き出てきて枯れる事がなかったので、これを箱型に留め地名を箱清水、寺の名を深谷山箱泉寺としたという。
独鈷での水の池は独鈷水として枯れることなく今日見ることが出来る。
千貫石、満貫石というのは、千や満の多くの願いを聞き叶えてくれる石をいう。
勿論千より満の方が多いので大きい石は満貫石である。(計算すれば5000貫石?)
                        千貫石
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                        祭壇石か船石か!
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境内には、千貫満貫石の他、心之字池、弁天池、枝垂栗、流石、起石、伏石、アマ犬の他、樹齢800年といわれる老杉、大銀杏の霊木など天然記念物がある。
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by yo-hamada | 2007-11-10 15:08
2007年 11月 10日

十両 宮城県石巻市住吉公園・「巻石」(石巻市地名の由来)

「巻石」は、享保の「奥羽観跡聞老志」に、「烏帽子石 住吉社畦華表前の湾に巨石あり、高さ6尺、広さ南北3尺東西9尺、その象烏帽子に似たり」とある。
長さ2m70cm、幅90cm、水に潜ってる部分も含め高さは1m80cmもある不思議な巨石である。
元禄の頃の書物にも烏帽子岩と出て来ているので、加工された痕はない!と思われる。
安永の「石巻村風土御用書出」には、「当村端郷住吉町住吉大明神神社地わきに、石巻石、石巻淵御座候に付き、その縁を持って村名に唱え申し候」と書いてあるという。
石巻市の地名の由来はこの石巻石から来たといわれている。
ネット「日本すきま漫遊記」には、「今のように港が整備されず、この辺りが未だ自然の入り江だったころ、波がこの石を洗って、周囲に渦を巻いたのが名前の由来である」としている。
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場所は仙石線石巻駅東側の北上川住吉公園の川岸にある。駅からは直ぐである。巻石近くには志賀直哉の生家もあり、巻石からは近くに石の森漫画館も見える。
巻石は朱色の橋がある小さな出島の先端辺りにある。
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by yo-hamada | 2007-11-10 15:00
2007年 11月 08日

参考掲載 岩手県住田町種山が原・残丘(モナドノックス)と立石

水沢市から江刺市に向かう。4号線から国道397号線に折れ三陸海岸方向に向かう。
途中456号線、287号線、10号線、8号線に枝分かれするが其の儘直進する。
3つのトンネルを過ぎると右側に「道の駅・種山が原」がある。道路を挟み、その真ん前の道路を左折し道なりに進む。閉鎖された物見山レーダー雨雪量観測所の入り口道路の前を通過し300m行った所の駐車場に停め、そこから登る、と言っても直ぐ目の前にあり誰でも行ける。
標高871mのなだらかな牛や馬の放牧地である。
風になびいたような二つの巨岩や波打つ段違いの巨石がある。
種山が原高原は宮沢賢治の原風景なのだそうだ。
賢治が何度もここを訪れ、「牧歌」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など種山が原を舞台にした作品を多く残している。この巨岩が、「この高原の残丘(モナドノックス)、此処こそ、その種山の尖端だ」と賢治が描いた尖った形をした火山性の岩である。
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立石はそこから戻り、トラック出入口の看板や、種山高原星座の森&種山キャンプ場の看板のあった所まで戻り右折する。(初めから立石に行く場合は左折する。)
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砂利道であるが暫らく行くと、牧草小屋があるので、車を駐車して、そこから徒歩で牧場を横切りキャンプ場に出ると「宮沢賢治の碑」や「立石」が左手にある。巨大立石である。
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巨石番付には馴染まず参考掲載とする。(唯、立石は評価してもいいと思われるが・・・・)
尚、距離的には遠い感じがするが、この賢治の愛した残丘や立石まではどなたでも簡単に行けるので是非ご覧頂きたい!キャンプを張っていた青年達と話した。
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by yo-hamada | 2007-11-08 08:22