2011年 03月 08日
申し訳ございません。巨石ではないが私の地元と言う事でご海容の上、参考迄ご覧頂きたい。 江戸寛政年間に完成した『奥鹽(おうえん)地名集』(奥州鹽竈の略と思われる)によると塩釜には名石九石があったと記されている。 (編集・刊行 NPOみなとしほがま:以下同資料による。……頒布中¥2,100-☎022-364-0686) 現存するのは、『牛石』、『しるべの石』、『母子石』の3つ、それらしき石は『雄石(男石)』、『防波石(波よけ石)』、九石には入らないが「塩松勝譜」記載の『神足石(じんそく石)』がある。所在不明が「おつむきの石」、「影向石」、「女石」、「御腰かけ石」である。 『牛石』 塩釜神社の末社、御釜神社境内にある。 当地で焼いた塩を積んで運んだ牛が石に化したものと言われる。 これにまつわる祟りや伝説もあったり、地元ではこの池の水底は海に繋がっているとも言われている。 七月七日の水替神事で、牛の背を見る事が出来る。 『しるべの石』 四方跡公園脇にあり、碑の正面に次の様に刻字されている。 「東 七曲り水戸、南 御たいの橋、北 七曲り坂、西 御こしかけ石」と、四方の名所を記している。 『母子石』 石の正面に表面に大小の足形が見える事から古来より名石、奇石とされ地元の信仰を集めて来た。 本書によれば病気の母を慕う娘の母につかうる話であるが、「塩竃神社」記と地元案内看板には異なる伝説が書かれている。これによるとこの石は「泣き石」とも言われる。多賀城の人柱とされた父親を嘆き悲しみこの石の上にいつまでも立ち泣き続け、泣き声が消えた時は母子とも屍になっていたと言う。この石の上には母子の足跡が残っていたとある。ここの地名「母子沢」もこの石に由来する。 足跡。 『雄石(男石)』 白坂観音堂境内に男根の形をした石1基がある。 1、6m程あり男石とする見方が有力である。 『防波石(波よけ石)』 白坂にあったこの碑は、時期が不明であるが諸事情から見て後年「八尺堂之址」と刻まれたが、かつて梵字の刻まれた石で、波よけの石とみている。石碑の頭部があたかも波頭の形の様で波よけ石に相応しい石と言える。 『神足石(じんそく石)』 塩作りの神にまつわる名石。神様の足跡が残っているとか神様が休んだ所と記されている。塩竃神社の左宮と別宮の間にあった神足石は「…二尺余にして…』とあり、記録と同じ現地にあっても確証に欠ける所であると言う。 追記:当塩釜市関係の巨石には、 トップページに戻り“以前の記事”欄 2010年6月をクリックして頂ければ「伊母石&梅宮神社石」 2007年5月をクリックして頂ければ「稲井石」がありますのでご参照下さい。
by yo-hamada
| 2011-03-08 15:33
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